2009年06月26日

続く11月にはアルカーイダ系の武装勢力

続く11月にはアルカーイダ系の武装勢力(アメリカ軍は当時そう考えていた)の活動がファルージャで活発になり、アメリカ軍は「夜明け」と命名した作戦によって攻撃した(ファルージャの戦闘に詳細)。しかし事前に大々的報道がなされたため、目的であるザルカーウィーらアルカーイダ系テロリストは既に逃亡、武装勢力も散った後であった。米軍が直接制圧に当たっているが、12月後半には7割の地域で武装勢力が回復したと言われている。また、ザルカーウィーにしても、彼が真に武装勢力の指導者であったことに疑いの声が上がる。アルカーイダの犯行と思われた事件のほとんどはフセイン政権の残党によるものと言う見方が、現在では強まっている。アメリカはこの作戦「夜明け」を実行するに当たり、バグダッドの治安要員が足りなくなるため、イギリス政府に対して、バスラを中心としたイラク南東部を活動範囲としていたイギリス軍の一部をバグダッドに転戦させた。

ファルージャの戦闘の一方は米軍だったが、他の一方は「反米武装勢力」とは断定できない。

この執拗な攻撃やテロに対し、有志連合を結成していた各国が次々に離脱を宣言した。とくに開戦当初から支持を表明していたスペイン国内で2004年3月11日に列車爆破テロが発生したことは、派兵国に少なからず動揺を与えた。ブッシュ政権はイラクの治安悪化を理由として、派兵要員を13万人から15万に増強する旨を発表した。さらに2004年11月のアメリカ大統領選挙終了後は20万人に増強する動きもあったが、実際は14万5千人までの増強で抑えられた。2005年4月には憲法製作を行う移行政府が発足し、アメリカのイラク復興業務は次の段階に入った。

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ところが、2005年の夏に起こったハリケーン「カトリーナ」の襲来時、肝心の被災地で活動すべき多くの州兵がイラクに派遣されていた事が大問題にされ、救難活動が遅れたために2千人近くが死亡したとする批判が国内から相次いだ。このためブッシュ政権は一部の兵力を本土に帰還させたため、イラク兵力は13万8千人となった。12月の議会選挙の際にはさらに多い15万5千人に増員したが、翌2006年2月には早々と13万6千人に削減し、3月には13万3千人となった。また、2月には正式な民主政権が発足する予定であった事から、ポーランド、韓国、イタリアに引き続き、イギリス、オーストラリア、日本が相次いで兵力削減・離脱を発表した。しかし、シーア派とスンニ派(あるいは石油資源を巡るクルド人)の対立から政権建設は難航し、22日のアスカリ廟爆破事件によって宗派対立に発展した。このため、日英豪3カ国の撤退計画は不透明なものとなった。

2009年06月10日

ケニアで一般的に飲まれているトウモロコシの発酵酒は

ケニアで一般的に飲まれているトウモロコシの発酵酒は、製造時にメタノールを添加し、アルコール度数を高める手法が密かに行われている。その添加量は中毒患者が出るギリギリで調節されているというが、しばしば中毒事件が発生する。2000年には、「チャンガー」と呼ばれる密造酒により134人が死亡、1000人以上が病院に収容される大事件が発生したほか、2005年にも30人程度の死亡者が発生するなど事件は後を絶たない。

1998年の旧正月直前に、山西省でメタノールが入った密造酒による中毒死事件が起きた。約400人が入院し、約30人が死亡した。

1988年のソウルオリンピックの際にソ連のオリンピック協会職員が、薬局でエタノールを購入しようとしたところ(当時のソ連の財政難とルーブルの暴落のために、通常の酒類が購入できなかった)誤ってメタノールを購入してこれを飲んでしまい、死亡する事故が起こった。
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2006年冬、ロシアでは、ウォッカの代用として工業用アルコール等を飲んだ者が中毒を起こすという事故が相次ぎ、300人以上の死者を出した。また2008年1月にはモンゴルで、メタノールが混入したアルコールをウォッカと称して売る「偽造ウォッカ」によって11人が死亡した。

零細な酒造メーカーに於いては、蒸留酒のアルコール度数を増やすために、安価な燃料用メタノールを混入することが常習的に行われていることがある。2008年にもホーチミン市において20人程度の死亡者が出た。

バリ島で、2009年5月、メタノールが混じった酒を飲んで中毒を起こす人が急増し、外国人を含む20人以上が死亡、多数が入院する事態となった。地元の酒造業者がアラック(米やヤシの実が原料の蒸留酒)にメタノールを混ぜて製造した酒が原因とみられる。


2009年06月07日

筋兜(すじかぶと)は、日本の鎌倉時代後期

筋兜(すじかぶと)は、日本の鎌倉時代後期から南北朝時代頃に発生した兜の一形式。星兜と異なり、兜本体(鉢)を形成する鉄板を接ぎ留める鋲(星)を見せず、鉄板の縁を捩り立て接ぎ目を筋状に見せたもの。

星兜に比べて軽快・軽量かつ、製作が簡易であるため、徒歩武士の胴丸・腹巻に付く兜として用いられた。後には大鎧にも用いられるようになった。
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鋲頭が大きい鋲を使う星兜と違い、頭が平らな鋲を使って鉢の鉄板をつなぎ合わせている。またしころも、両手の動きを邪魔しないように、「笠しころ」と呼ばれる横に広がった扁平型の形式が使われた。鉢には黒漆が塗られる。時代が下るにつれ、より高度な製作技巧を必要とする、筋の数の多い筋兜も増えていった。だがこれらは細長い鉄板を非常に多く用いるため、鉢の装飾性には富むものの、堅牢性には乏しかった。

室町時代には、阿古陀形(あこだなり)という後頭部が膨れ上がった南瓜様の筋兜が流行した。頑丈さに欠けたため戦国期には衰退したが、以降の筋兜にその影響を残した

兜鉢の下部全周を斎垣(いがき)と呼ばれる装飾金具で覆い、兜の筋と斎垣に覆輪を施したものを「総覆輪(そうふくりん)」と呼ぶ。

2009年04月23日

弾圧(だんあつ)

弾圧(だんあつ)は、権力を濫用し与える加害行為。権力者側による弾圧を組織的弾圧と呼ぶこともある。

一般的には統治者による権力、暴力などの攻撃によってある個人や団体を精神的もしくは肉体的に圧迫する行為を指すが、被統治者側による弾圧も発生しうる。特に国営報道機関が、統治者側の介入時にはプロパガンダや情報操作によって、弾圧に手を貸すことが多い。弾圧は、個人や団体が自分たちの集団より劣っているという意識、あるいは無自覚ながら劣っているという思い込みが背景にあることが多い。

近年の日本では、統治者側が自らへの批判を不当なものとして「弾圧」と呼ぶ事例もある。

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1948年12月10日に国連で採択された世界人権宣言は、基本的人権の尊重を定義し、全ての権力が尊重すべき基本理念を提案することで、弾圧の根絶を目指すものである。

かつては社会には弾圧により階層化があるとする意見が支配的であったが、近年の研究でこの見解は否定されている。しかし、未だに一般的に広く使われており、弾圧や差別の存在理由として、暗黙のうちに認められていることが多い。

一方で、オウム真理教(アーレフ)のような破壊的カルトが、当局による違法行為取締・活動規制を「国家権力による弾圧であり信教の自由の侵害」として非難・自らを正当化する事例も見られる。しかし、警察官が勝手に転んで見せ、公務執行妨害罪と難癖をつけ目の前の相手を逮捕する「転び公妨」など、相手によってはどのような手法も許されるとする当局側の姿勢が、このような批判を生んでいることも事実である。

逆に言えば、相手が社会的に絶対悪と印象づけることができれば、弾圧と言える行為であっても、多大な支持を集め、むしろ積極的に民衆を弾圧に加わらせることが可能である。それに対する批判が、たとえ不当な弾圧を法的に批判したものであっても、絶対悪に味方したゆえの批判と断定し、容易に退けられるのである。弾圧がエスカレートするかどうかは、こうした「場の空気」に合ったものかどうかがかなり影響する。

2009年04月22日

テオティワカン

テオティワカン (Teotihuacan)とは、メキシコシティ北東約50キロの地点にあり紀元前2世紀から6世紀まで存在した巨大な宗教都市遺跡。当時のアメリカ大陸では最大規模を誇っていた。

極めて計画的に設計された都市で太陽のピラミッド、月のピラミッドそして南北5キロにわたる道(「死者の大通り」)が基点となり各施設が配置されている。太陽のピラミッドの地下には、人類の起源の地との伝説のあるチコモストックをおもわせる七つの洞穴が枝状につながる洞窟があったので都市を建設する際の立地条件になったのかもしれない。紀元前50年にテスココ湖の南方に立地したクィクィルコがシトレ火山の噴火によって埋まると急速に発展した。都市の面積は約20平方キロメートルで、最盛期には、10万から20万人が生活を営み下水網も完備されていた。しかしながら人口の集中に伴い下水道もその処理能力を超えるようになり、やがて旱魃等の災害により、治安が悪化して、やがて滅びを迎えた。メソアメリカの中心的都市として機能していた。古代都市に固有の城壁が存在しないことから戦争や圧政のない平和な都市と考えられていたが、近年の発掘調査の結果から、生け贄を捧げる風習が存在したことが判明した。

とまま 月の微笑 アテンポ アトゥドア トリビュ ブイWEB イアリン リスト タンザ マルチ ティック ガーナ デジャブ ぴっこ エミュー レーター マルク レンジャー チータ リーシム タカス イミング チャー オペレ トサミズ イチョウ ワラント ギアサン ミヤマ 一意専 ツァーリ テーマ ネメシア チャック プラグ フレンドリー キープトコ えいち リユース パラソル みるいろ ミル スキーヤー ダイウェブ フリータ カツラ ブラジル レジデント パテ シマル

テオティワカンとは、「神々の都市」という意味で、これは後にこの地にやってきたアステカ人が命名した。

古代都市テオティワカンとして、1987年に世界遺産(文化遺産)に登録されている。

2009年04月05日

小林一茶

小林一茶(こばやし いっさ、宝暦13年5月5日(1763年6月15日)- 文政10年11月19日(1828年1月5日))は、江戸時代を代表する俳諧師の一人。本名・小林弥太郎。

信濃北部の北国街道柏原宿(現・長野県上水内郡信濃町大字柏原)の貧農の長男として生を受ける。3歳の時生母を失い、8歳で継母を迎える。継母に馴染めず江戸へ奉公に出、25歳のとき二六庵小林竹阿に師事して俳諧を学ぶ。(論拠不肖であるが、藤沢周平著『一茶』では小林竹阿には実際あったこともなく弟子というのは一茶の詐称との記述がある。)

29歳の時、故郷に帰り、翌年より36歳の年まで俳諧の修行のため近畿・四国・九州を歴遊する。39歳のとき再び帰省。病気の父を看病したが1ヶ月ほど後に死去、以後遺産相続の件で継母と12年間争う。一茶は再び江戸に戻り俳諧の宗匠を務めつつ遺産相続権を主張し続けた。

50歳で再度故郷に帰り、その2年後28歳の妻きくを娶り、3男1女をもうけるが何れも幼くして亡くなっていて、特に一番上の子供は生後数週間で亡くなった。きくも痛風がもとで37歳の生涯を閉じた。2番目の妻(田中雪)を迎えるも老齢の夫に嫌気がさしたのか半年で離婚。3番目の妻やをとの間に1女・やたをもうける。(やたは一茶の死後産まれ、父親の顔を見ることなく成長し、一茶の血脈を後世に伝えた。1873年に46歳で没。)

文政10年閏6月1日(1827年7月24日)、柏原宿を襲う大火に遭い母屋を失い、焼け残った土蔵で生活をするようになった。そしてその年の11月19日その土蔵の中で65歳の生涯を閉じた。

作風 [編集]
幼少期を過ごした家庭環境から、いわゆる「継子一茶」、義母との間の精神的軋轢を発想の源とした自虐的な句風をはじめとして、風土と共に生きる百姓的な視点と平易かつ素朴な語の運びに基づく句作が目を引く。

サクソニ ルンバー ソブー ミルク てやり ライフ レビス 待ちぼう マジシャン 青春 オーバ フェー スクリュー ディトム チグリ ファーレ レギュレ レゾナ クホス フェムド オタク サテュロス マキシ るもい ステッチ チヂミ ボート トップ ジャッ 大同情報 ジュラル ストロ カバオ ルビー ブロー キング イラマチオ 月夜の オブシデ ジップ ギモーブ マッチ 幸運快適 つる菜 ラナイ メコン リイシュー スラッシ ローテー だて

2009年03月21日

臨時用として函館運輸所に配置される

臨時用として函館運輸所に配置される本系列の4両について、赤2号+クリーム4号の「国鉄色」への復元を2001年に実施した。次回検査までの一時的な措置とされていたが、検査後も引き続き国鉄色のまま使用されている。
※キハ183-1・2 キハ182-1・2
バポス ランパン スモーク ワード ねじめ ブルー ケチャ ゴム編み じゃっこ リッチ マリンスノ ラーマー パブコメ フェテ タリア 森の小人 ザイール パパ シエナ ユニット アセビ ムスク フォルタ メンテ ミサンガ ディス ジーンズ ニュート ブラッシ ブロック タイチュー ブルネット フラワー チュート ダブル クーチュ エアリアル スワジ 地平線 セミオート パテント 黒いカバン リンパ バトン 人魚姫 ハンドガン ラスプーチ スイン クラウト ターテー

「旭山動物園号」編成
旭山動物園(旭川市)へのアクセス輸送に使用する車両について、内外装の改装工事を2007年に五稜郭車両所で実施した。当初は4両編成で使用を開始し、2008年4月28日以降は「オオカミ号」を追加して5両編成で使用する。
旭山動物園の元飼育係で絵本作家のあべ弘士がデザインを手がけ、旭川側から1号車「ホッキョクグマ号」(キハ183-3)、2号車「オオカミ号」、3号車「ライオン号」(キハ182-47)、4号車「チンパンジー号」(キハ182-48)、5号車「ペンギン号」(キハ183-4)と名づけられ、それぞれの動物の親子などの絵が描かれている。
接客設備にも種々の改装がなされる。各車両には動物をかたどった記念撮影用の「ハグハグシート」が設けられた。1号車の キハ183-3 は旧「ちゃいるどさろん」の空間を転用し、カーペット敷きで子供が靴を脱いで遊べる「モグモグコーナー」に改装された。5号車の キハ183-4 は業務用室部分を転用した授乳室を備える[22]。車内メロディは童謡『森のくまさん』を用いる。
週末やゴールデンウィーク、夏休みなどを中心に臨時特急「旭山動物園号」
JR九州 [編集]
転用に伴う諸改造
「ゆふいんの森II世」
「オランダ村特急」廃止後の1992年、転用のため内外装を改造した。
キハ182-1002 では子供向け空間「ぷれいらんど」を一般座席に改装し、キハ183形の展望室座席はミニバーに改装された。外部塗色はキハ71系気動車の配色に準じ、緑色の地に金帯を配したものである。
特急「ゆふいんの森」に使用されたが、1999年にキハ72系気動車「ゆふいんの森III世」が製造され、同列車での運用はなくなった。
「シーボルト」
「ゆふいんの森」運用終了後、大村線経由の特急に使用するため再度改造された。
「オランダ村特急」時代とほぼ同じ塗装[23]となったが、青色の細帯は省略され、側面にはロゴが入れられた。[24]特急「シーボルト」に使用されたが、2003年の同列車廃止で用途がなくなり保留車扱いとなった。
「ゆふDX」
2004年に久大本線の特急「ゆふDX」に使用するため三度目の転用改造が実施された。初期の塗装は「古代漆色」と称する配色で、展望室には通年割増料金のパノラマシートが設置された。走行機関の換装を同時に実施している。
2008年の定期検査時に車体色を「古代漆色」から山吹色に変更[2]し、前面腰部に同社のキハ185系気動車と同様の補助灯を左右1対追設している。

リゾート編成 [編集]
1980年の千歳線電化時に、北海道の空の玄関口である千歳空港に直結して千歳空港駅(現・南千歳駅)が開業、翌1981年には石勝線が開業し、主に道央地区に開発されたリゾート地への旅客が増加した。空港とリゾート地を直結する移動手段として専用リゾート列車が製造され、1985年にキハ56系急行形気動車から改造された「アルファ・コンチネンタルエクスプレス」の好評を受け、1986年にはキハ80系特急形気動車を種車として高速性能の向上を図った「フラノエクスプレス」が、1987年には「トマム・サホロエクスプレス」が増備された。

4編成目からは、さらなるサービス向上を目指して本系列の設計が基本とされ、1992年までに「ニセコエクスプレス」「クリスタルエクスプレス トマム & サホロ」「ノースレインボーエクスプレス」の3編成12両が自社(JR北海道)苗穂工場で新製された。
国鉄時代 [編集]
試作車は函館運転所(現・函館運輸所)に配置され、各種試験の後、1980年2月10日から函館 - 釧路間の特急「おおぞら」5・4号で運用を開始した。1編成を隔日で使用する体制であった。

続いて、量産車が函館運転所・札幌運転所に配置され、1981年10月の石勝線開業時に「おおぞら」、「北海」に投入された。翌1982年から「オホーツク」、1983年から「北斗」にも導入した。

1985年3月のダイヤ改正では短編成化による増発を実施した。当初、車両需給の関係からグリーン車を連結しない編成が存在した。

1986年11月のダイヤ改正ではN183系を36両製作し、札幌運転所に配置した。35両は従来型のキハ184形を連結して7編成42両となり、「北斗」「おおぞら」で使用した。残りの1両はグリーン車で、普通車のみの編成を解消している。本区分の使用開始により、キハ80系は北海道内定期列車での使用を終了した。同時に、試作車・基本番台ともN183系に合わせた塗装への変更が開始され、1987年に変更を完了している。

1987年のJR北海道発足時には、試作車12両・基本番台89両・N183系36両の合計137両が承継された。

JR北海道 [編集]
1988年3月のダイヤ改正では「北斗」で120km/h運転実施のためNN183系28両を製作のうえ札幌運転所に配置し、本区分を主とする改良型のみで組成した編成を使用した。この編成では電源機関付きのキハ183形1500番台、1550番台を使用し、120km/h運転ができないキハ184形+キハ183形500番台の組は基本番台(0・900番台)の運用に転用された。

1991年、「スーパーとかち」用に2階建てグリーン車キサロハ182形を4両投入した。本形式が定期列車用のキハ183系最終増備となる。

1992年に夜行「大雪」が「オホーツク」に、1993年に「まりも」が「おおぞら」に統合された際には寝台車を組成する必要から、14系客車を本系列編成の中間に組み込む対応がなされた。

1994年2月に発生した石勝線脱線事故では3両が廃車[25]され、本系列初の除籍車となった。

1994年3月にキハ281系が「スーパー北斗」に、1997年3月にキハ283系が「スーパーおおぞら」で使用を開始するなど、輸送改善のため後継車両の投入が本格化すると本系列の使用範囲は縮小に転じる。2000年には宗谷本線系統の優等列車特急化で「利尻」「サロベツ」での使用を開始したが、翌2001年にはキハ283系の増備により「おおぞら」での運用が終了する。同年から老朽による本系列の淘汰が開始され、試作車12両は同年中に全車が廃車された。以後、初期車を中心に淘汰が進捗することとなる。

2007年にはキハ261系が「とかち」系統で使用を開始し、同系統で使用してきた出力増強改造車なども淘汰の対象 [26]となった。利用の振るわない夜行列車の運用も、臨時列車化などで運転本数は漸次削減され「利尻」「オホーツク」はそれぞれ2007年9月・2008年3月で運行を終了した。残存した「まりも」も2008年8月で運転を終了[27]し、本系列の夜行運用は終了した。

2008年現在、JR北海道の所属車は函館運輸所・札幌運転所・釧路運輸車両所に配置し、以下の列車で使用する。

「北斗」(札幌 - 函館)4・5・8・11・14・15・19・20号
「とかち」(札幌 - 帯広)2・3・6・9号
「オホーツク」(札幌 - 網走)
「サロベツ」(札幌 - 稚内)
後継となるキハ281系・キハ283系・キハ261系の投入が進み、基本番台を恒常的に使用する列車は「オホーツク」のみとなった。

釧路運輸車両所の所属車はキサロハ182形 (551 - 554) の4両のみで、営業運転に使用する車両の配置はない。

JR九州(1000番台) [編集]
1000番台の新製当初は竹下気動車区(現・博多運転区)に配属され、「オランダ村特急」(小倉 - 佐世保)で使用された。1989年の門司港延長運転開始とともに4両編成となり、下り列車の門司港→博多間で電車特急「有明」との協調運転を開始した。1990年には協調運転区間が門司港→鳥栖間に延長され、程なく直方気動車区(現・筑豊篠栗鉄道事業部直方運輸センター)に転属した。

1992年、ハウステンボス開園とともに特急「ハウステンボス」(博多 - ハウステンボス)が485系電車で運行を開始し、「オランダ村特急」は廃止された。本区分は「ゆふいんの森II世」に転用され、1999年まで使用された。

「ゆふいんの森II世」時代には「阿蘇キャンペーン」(1994年12月 - 1995年2月)の一環として、臨時特急「阿蘇キャンペーン号」(熊本 - 宮地)にも使用された。

1999年には長崎鉄道事業部長崎運輸センターに転属し、特急「シーボルト」(佐世保 - 長崎、大村線経由)として2003年まで使用された。2004年以降は豊肥久大鉄道事業部豊肥久大運輸センター(現・大分鉄道事業部大分車両センター)に配置し、「ゆふDX」(博多 - 大分 - 別府)として使用している[28]。

「ゆふ」3往復のうち、半分の1.5往復が本形式を使用する「ゆふDX」であるが、奇数日と偶数日で運用される列車が異なる。ただし、毎月31日、うるう年の2月29日および本形式の検査や故障などの場合は、全列車をキハ185系による「ゆふ」として運転する。

2009年03月06日

構造と艤装

戦列艦は多数の砲を搭載することを目的とした木造帆船である。しかし帆船の甲板上はマストや索具で占められているので、砲は少数しか搭載することが出来ない。そのため帆走軍艦は艦内に砲を設置し、船体側面にあけた砲門から射撃を行った。砲を搭載する甲板は砲列甲板(gundeck)と呼ばれ、一般に戦列艦の長さは砲列甲板の全長で表される。しかし砲門をあければ船体の強度は下がり、加えて発砲の衝撃に耐えることが要求されたため、戦列艦の舷側は非常に分厚い木材で造られた。

以下の説では各部の構造や装備品について説明する。

砲列甲板
戦列艦の砲列甲板の数は性能に対して大きな影響があった。小型の2層甲板艦は帆走性能が優れており、経済性も高かったが強度が不足しがちで大型化に限界があり、戦力としては3層艦に引けをとった。反対に3層艦はコストや操縦性に難がある上、荒天時には最下層の砲門が波に晒されて使用不能になるという欠点も抱えていた。しかし乾舷が高いために接近戦時に2層艦の甲板を上から一方的に砲撃できるという利点もあり、海戦時においては2層艦の1.5倍の戦力を持つと考えられていた。

砲列甲板は水兵たちの生活の場でもあった。彼らは砲の間に設置されたテーブルで食事し、ハンモックを吊るして寝たのである。

ほとんどの戦列艦は3本マストの帆船であった。戦列艦の前身であるガレオンはミズンマストやボナヴェンチャーマスト[1]にラテンセイルを備えていたが、ボナヴェンチャーマストは戦列艦には無く、ミズンマストのラテンセイルもドライバー[2]に置き換えられていき、イギリス海軍では18世紀中盤に完全にラテンセイルが廃止された。

1850年代以降になると蒸気機関が導入されるが、初期の蒸気機関は信頼性が高くなかったこともあってその後しばらく戦列艦は蒸気機関と帆走を併用していた。水上艦から完全に帆走設備がなくなるのは20世紀に入ってからのことである。

艦尾
120門艦オセアンの艦尾船の舵は普通船尾に存在する。当時は舵を操舵輪につながった綱で、もしくは直接人力で舵柄を動かして制御していた。そのため戦列艦の艦長らは普通艦尾で指揮をとった。一般に船尾は前方に比べて甲板が1層多くなっていて、後甲板(quarterdeck)と称された。戦列艦はここに小口径砲やカロネードを装備していることが多かった。また「quarterdeck」は士官の別名でもある。
ドタキャン ターム みゅすか オプテ オースト ヌクレ バコマ ソプラ シャン ライナ オオボ チョン ネコン ブロス ロード おおだま バリア チャーム ヤブコウジ シアター 風模様 フェニック ジェット サーチ群青 トウバ マルア コンバレー サンベ ジャンパ アパチャー フィジカ キュリー スカンジ シガー タワナ マンガ グーイ デュオ トリレ ラジアン ピーチ パール チーム ビースト オシロ エリトリア トラッ トデー 樹やしき リュウノヒゲ

一方で艦尾に設けられた艦長や提督の豪華な個室は防御上の弱点でもあった。これらの部屋には窓ガラスが多用されている上に、艦内の構造上首尾線方向の砲弾をさえぎるものが少なかったため、艦尾に斉射を受けると致命的な被害が出ることが多かったのである。

その他
戦列艦の建造には普通オークやチーク材が使用される。軍艦木材は重要な戦略物資であり、特に本国の面積と釣り合わない大規模な艦隊をもっていたイギリスではスウェーデン等の北欧からの輸入が重要であった。

2009年02月14日

遥かに仰ぎ、麗しの

滝沢 司(たきざわ つかさ)
ション トリソウ コホシュ 砂漠 スタディ イライン リセッセ シミュレ タリオ ドライシ アカネス 晴レルヤ グレープフ イナル タラップ クォーラム ウンセケ ブルート シュガ オートク しむか かんげん ボール 海辺の扉 ブィク バック ミディア 蛍の光 スクリュ 天喜人気 チーズ セラピー ゴリラ コレク ブックパカ テクタイト スローピン サンダー タータン ガイドヒヒ シトリン プリ マップ テークオフ シュビル クイヤン バンド トピック SEOタウンテニス シーディー

本作の主人公。一人称は「僕」。
教員免許を取り、大学を卒業したものの就職先は決まっていなかったところ、恩師である猿辺教授の紹介で凰華女学院分校に赴任することとなる。カナヅチであり浮き輪が無いと泳ぐことが出来ない。軍事オタクである可能性がある。
また前述の通り、シナリオライターが異なる事での差が特に主人公に顕著なため、本校系と分校系では性格や言動が不一致な部分がある。
幼少時に実の両親に捨てられ施設で育った後、滝沢家の養子となった過去を持つ。当時は滝沢家に不信感を持ち誰にも心を開かず荒れていたが、何があっても自分を見捨てなかった養父達を次第に認めるようになる。現在では今の両親に感謝し、自分もまた彼らのようになりたいと思い教師を目指した。その反面、本当の両親を憎んでおり本校・分校両方のルートで思い出す度に怒りを露にしている。
自らの過去と照らし合わせ、問題のあるヒロインたちに対して、決して見捨てない姿勢を貫いている。

メインヒロイン(本校系)
風祭 みやび(かざまつり?)

声:北都南
5月3日生まれ。学院生であり、同時に凰華女学院分校の理事長代理を務める。一人称は「あたし」。10歳ほど年上の兄と姉が1人ずつ居る。なお、みやびは背が小さい為、着ている制服は本校系の特注品である。自らが好きな事には稀有な才能を見せる。
我侭な性格ですぐ理事長の権限を行使するため、学院生達や一部の教師達からの評判はすこぶる悪い。しかし彼女としては理事長としての仕事をこなそうと一生懸命である。学院生としての時間以外はメイドのリーダと一緒にいることが多い。お嬢様らしい言動はほぼ皆無であり、それが鏡花と衝突する原因にもなっている。主人公と関わるうち、周りを見渡す余裕ができ理事長としても学院生としても上手くいくようになる。
優秀すぎる兄と姉に劣るみやび(みやび自身も有能なのだが、二人はそれ以上の実力者である)は両親に褒められたことが無かった。そのため凰華女学院分校の理事長を任された時は両親の期待に応えようと意気込むが、当の両親は政略結婚の道具に使うまで彼女を追いやっただけだった。その事をリーダは知っていたが、みやびにとってはあまりにも残酷な事実であるため、司が現れるまで誰にも打ち明けられずにいた。
鷹月 殿子(たかつき とのこ)

声:遠山枝里子
6月7日生まれ。学院生で梓乃の唯一の友人。一人称は「わたし」。大抵のことに才能を見せる天才肌。
趣味は散歩。暴走するみやびを止めることのできる数少ない存在。とある理由から授業をサボることがしばしばあり、優秀なものの成績は芳しくない。主人公と関わるうち、満たされることのなかった家族の愛を求めていくことになる。
鷹月家は伝統や格式を重んじており、家を継ぐことを求めておる両親と、自由に生きることを望む殿子が対立している。両親は殿子が従順になるまで学院に押し込めるつもりでおり、そのために彼女は卒院することができない。
八乙女 梓乃(やおとめ しの)

声:佐本二厘
6月21日生まれ。内気な学院生。学院の沿革を纏める「学園史編纂委員会」に所属している。一人称は「わたくし」。
過去のイジメが原因で対人恐怖症になってしまい、小学生の頃からの友達である殿子に常に寄り添っている。そのため殿子に引きずられる形で授業をサボることも多い。自分にとって唯一の救いである殿子が主人公と近づく様を見て、発端がどうあれ能動的に主人公に関わることになる。その過程で協調性を持ち、殿子以外の友人も出来た。ダンテという名前の犬を飼っている。

メインヒロイン(分校系)
仁礼 栖香(にれ すみか)

声:井村屋ほのか
10月29日生まれ。生真面目な優等生。一人称は「私」(わたくし)。
毎朝決まった時間に寮の窓を開けて回る几帳面な性格である。模範的な院生であろうと頑張る余りクラスメイト達にもつい口うるさくなってしまうため、あまり仲良くなれていない。特に美綺には妙にムキになって距離を取っている。また正臣(まさおみ 声:町田あみ)という弟がいる。
実家はかつては資産家で、仁礼グループとして隆盛を誇っていたが、現在では陽道グループの陰謀によって没落している。それ故に栖香は陽道を憎み、ひいてはそれが美綺との不仲の原因となっている。前の学校では先生を手伝うため残って、放課後に強姦されそうになった経験がある。そのせいでこの学園に転校して来た。
相沢 美綺(あいざわ みさき)

声:安玖深音
4月24日生まれ。凰華ジャーナル(要するに新聞部)に所属している学院生。一人称は「アタシ」。
奔放快活で元気な性格。そのため本校系にも友達が多い反面トラブルメーカーになりがちであり、一部の教師から目を付けられている。栖香が自分の事を快く思っていないことは自覚しているが、美綺の方はそうではなく何とか親しくなろうとはしている。
風祭家に匹敵する規模の企業集団である陽道グループ中核企業「ビッグ7」のひとつである不動産会社「AIZAWA」の娘。シロという犬を実家で飼っている。
その性格ゆえに分校系だけでなく、本校系シナリオでも出番が多い。
美綺は栖香の父親の愛人との間に生まれた子供で、栖香の異母姉にあたる。美綺は栖香が生まれた直後、相沢家に養女に出された。
榛葉 邑那(はしば ゆうな)

声:風華
7月14日生まれ。学院内にある温室にいることの多い、「温室の主」といえる存在の学院生。一人称は「わたし」。
紅茶を入れるのが得意で、温室に来た司や学院生によく振舞う。カップはヘレンド磁器を愛用している。
鹿野上渉の妹。源八朗の愛人、囲い人。源八郎の孫娘、祖母に似ているという理由で愛人になった。

サブキャラクター
グラフィックがあるのは三嶋鏡花、上原奏、通販さん、リーダ、暁光一郎、志藤由、李燕玲、鹿野上渉。グラフィックのないサブキャラクター役で一色ヒカル、木葉楓、楠鈴音、茶谷やすら、まきいづみ、このかなみ、町田あみ、松園ルイが友情出演している。

本校系学院生
三嶋 鏡花(みしま きょうか)

声:青山ゆかり
本校系の寮の寮長を務めている。一人称は「私」。規律を重んじるために、我侭なみやびとは衝突することが多い。
風祭グループに融資を受けた実家の人質として分校にいる。実家が倒産したときは本校理事会より退学が申し渡されたが、分校理事長代理であるみやびの機転によって免れ、その頃から互いを認めるようになった。
結城 ちとせ(ゆうき?)

声:如月葵
鏡花と仲がよい。一人称は「私」。親は美術商を営んでいる。
高藤陀 貴美子(たかとうだ きみこ)

声:一色ヒカル
おっとり上品な性格。
小曾川 千代美とは恋仲。そのため分校系シナリオで登場。

分校系学院生
上原 奏(うえはら かなで)

声:木村あやか
美綺の親友。一人称は「私」。美綺から「かなっぺ」というあだ名を付けられているが、本人は認めていない。
おっとりのんびりな性格。美綺に振り回されることが多く、それ故にサブヒロインながら出番は多い。言葉の一部を二回続けて言う事が多い。暁に憧れており、その熱意は彼のために料理を必死で練習するほど。美綺と同じく凰華ジャーナルに所属するが、きっかけは美綺に巻き込まれたかららしい。
介護ロボットの研究開発を行っているベンチャー企業「LIFE SCIENCE LABO」(通称:LSL)の所長、上原 唱(?となえ 体験版では紀美香 声:松園ルイ)の一人娘。
大銀杏 弥生(おおいちょう やよい)

声:七原ことみ
頭が悪い学生としてよく挙げられている。本人も自覚している。
野原 のばら(のはら?)

声:茶谷やすら
いつものんびりしててマイペースな女学生。
小曾川 智代美(こそがわ ちよみ)

声:まきいづみ
いつもぶっきらぼうな口調。小説を書くことが趣味であり、賞を取るほどの実力。
高藤陀 貴美子とは恋仲。
岡本 瑠璃阿(おかもと るりあ)

声:茶谷やすら
男と間違われてもおかしくないほどの体格がガッチリした女の子。寡黙。
神 知晶(じん ちあき)

声:一色ヒカル
いつも寝ている女学生。
三橋 香奈(みつはし かな)

声:木葉楓
真面目な良識派だが、要領が悪く貧乏くじを引きがち。朝が極端に弱い。
高松 千鳥(たかまつ ちどり)、高松 鶫(?つぐみ)

声:楠鈴音
千鳥と鶫と双子である。双方の見分けは付かず金髪でロリ体型。二人で声を合わせて発生し、一人だけで話す描写がない。また発言内容も危ういセクハラトークや人を小馬鹿にした内容が多いため、学園の問題児の例として本編で挙がりやすい。
溝呂木 輝陽(みぞろぎ てるよ)

声:まきいづみ
消極的な性格。おどおどしていることが多い。
通販さん(つうはん?)

声:七原ことみ
邑那の友人。
この名前はいつも通販番組を見ていることから付けられたあだ名で、本名は不明。番組を見ている途中に声をかけられるとすごく不機嫌になり、邪魔した相手を敵視する。
番組で気に入ったものは何でも買っており、学内には彼女専用の倉庫がある。美綺とは仲がよく、買ったものを試してもらうこともある。

教職員
リーダ

声:天川みるく
本名はリーリア・イリーチニナ・メジューエワ。一人称は「私」。
学院のメイドを統括している。風祭家に仕える使用人の家に幼い頃引き取られた、ロシア人の孤児。みやび付きのメイドでもあり、暴走するみやびの歯止め役でもある。10年ほどみやびに仕えている。
工藤さん 声:このかなみ

メイド隊を率いる係長さん。役職の正式名称は「風祭家御側御用室、庶務係長」。司に好感を持っている。
暁 光一郎(あかつき こういちろう)

声:上州トム
司の同僚となる先輩教師。司に色々とアドバイスしてくれる頼もしい存在だが、その度に最低一回は司をからかうため司にはシリアスアレルギーではないかと疑われたことがある。学院の備品である1個30万の値打ちがある湯呑み茶碗でお手玉ができる。
愛車は戦前に作られたヨーロッパメーカー製で、おじいさんのおさがりである。名前は「ぬおーん・らりぱっぱ1100」。
志藤 由(しどう ゆう)

声:韮井叶
司の同僚となる新人教師。志藤グループの跡取息子。大学卒業後に家業を継ぐはずだったが、国立大学と海外の大学を短期間で卒業し、与えられた猶予期間で夢である教員の職についた。海外の大学卒業後、夏休み中より赴任したため、司を「先輩」と呼んでいる。司より年下。
どんなことでも簡単にこなしてしまう万能タイプだが、そのために周りとは距離を置き、平凡を装っていた。司から「才能の上に胡坐を掻いて座っているだけ」と言われ、以後は様々なことにチャレンジし、才能を見せている。
みやびの政略結婚の相手となる婚約者。
坂水先生(さかみず?)

声:事務台車
生活指導主任担当の教師。教師達の中で最古参だが、それ故に下の者には尊大に振る舞い上の者には媚びるので生徒からの評判は悪い。
殆どのルートで、最終的には学院生やメイドに手を出す(未遂に終わる)等の問題を起こし追放処分を受ける。また、梓乃ルートでは彼女を強姦しようと夏休み、バレンタインと2度に渡って手を出すが、ダンテの活躍と司によって失敗する。
長谷川先生(はせがわ?)

司の同僚となる教師。温厚な教師で司や暁と並んで人気がある。そんな彼に人望が集まり、坂水が受け持っていた生活主任担当の座を受け継いだ。

学院生の関係者
李 燕玲(リー・イェンレイ)

声:如月葵
面会日に榛葉邑那の元へ訪れてくる中国系の女性。陽動グループビッグ7である広報通信業界最大手、電広の副社長。 仁礼グループ没落の黒幕であると、栖香からは嫌われている。コーヒー党。
鹿野上 渉(かのうえ わたる)

声:本多啓吾
陽動グループビッグ7である陽道商事に勤めている。榛葉邑那とは母違いの兄。気弱な口調で話す。陽道グループの強引な手法にはひそかに反発している。
ダンテ

声:松園ルイ
梓乃の飼い犬。学園の中で生活し、みやびや司にもよく懐いている。名前が明らかになる前は、司に「ゴンザレス」と呼ばれていた。食べ物ならある程度の言葉を理解している。
シロ

声:まきいづみ
美綺の実家で飼われている犬。ダンテに比べこちらは駄犬。面会日には相沢親子、ボディガードのワンボと一緒に来る。

作品内の財閥
お嬢様学校を題材していることもあってゲーム内ではありとあらゆる財閥が登場し、また単純に存在してるだけではなく曰く付きだったり財閥同士で対立したりする深い事情も多く確認される。

陽道グループ
蘆部源八郎が創始者。敗戦後に謎の資金を使い風祭に匹敵するほどに。ビッグ7と呼ばれる7つの大規模な会社を纏めている。ビッグ7には相沢夫妻が経営するAIZAWA、李 燕玲が副社長を務める広報通信業界の電広 、鹿野上 渉が属する陽道商事、他にソルTV等がある。蘆部源八郎の血族を俗に、「蘆部一族」と呼ぶ。
風祭グループ
凰華女学院を創設したグループ。規模、資産、経済力なら国内トップクラス。いわゆる戦後の成り上がりの陽道グループとは違い、風祭は伝統の面もあり江戸時代から続く。
志藤グループ
軍需のシェアの大半を握る強大なグループ。軍需だけではなく他の業界でも大きな力があるコングロマリットである。現在では風祭と友好な関係ではあるが昔はそうでもなかった。
鷹月家
長い伝統と高い格式により政界への影響力が大きいため風祭も迂闊に手を出せないほど。鷹月家の歴史は長く1000年(平安時代から)も続いている。風祭が江戸初期から伝統だったとしても400年程度の歴史である。
八乙女家
明治時代からの旧華族。大手の総合結社を纏める八乙女エンタープライズの一族。
AIZAWA
相沢美崎の両親が取り仕切る不動産会社グループの名称。元は仁礼グループの末端(相沢不動産)であったが、とある事件により陽道グループに鞍替えしビッグ7までに上り詰める。
仁礼グループ
いわゆる旧家。お公家上がりの元華族。戦前に荒稼ぎをして、仁礼財閥と呼ばれるほどになったものの、10年前の事件を発端にグループが崩壊してしまう。
三嶋家
風祭や陽道には劣るが、それでもそこそこの規模をもったグループを統括している一族。経営状況はあまり良くはない。
デウスガーデン
アミューズメントパークといえば遊園地、 ジ・アミューズメントパークといえばデウスガーデンと言われるほどの世界一の遊園地。東京都の二倍の面積がある。ありとあらゆる財閥が、ひしめき合ってる珍しい場所でもある。仁礼グループの遊園地を買収し、園内にその遊具施設を配置している区画もある。テーマパークだけでありながら、その施設の巨大さ故に財閥としては極めて力が大きい。
UFE
The United of Far Eastの略。通称、極東連合。アジア地域のIT企業の連合体。規模的にデウスガーデンに匹敵する。

2009年01月28日

南太平洋海戦

南太平洋海戦(みなみたいへいようかいせん)とは、1942年10月26日にソロモン海域で行われた日米両軍の機動部隊による海戦を示す。アメリカ軍側の呼称はサンタ・クルーズ諸島海戦(Battle of the Santa Cruz Islands)。
こどまり バーベキュー スターライト ハンバ むぎわら ヘデラ スクエア レポレート タチアオイ かささ あとがま レムリア 紙飛行 モノカイ サフル サウジ ラノオ ダクション かしはら デコラ フルス レべリング クンツ フェライト かぶとが ピンチ ナビユタ わらび野 コロポ リパー ライセ あねご トーテム 世界一周 しゃな ロコモー シュー ファーム てごろ ンソウ ドライ リード オミット ドルチェ イズム セッティ スイート ハジサー つきほと 桃一郎

日本海軍の連合艦隊は日本陸軍第17軍が予定していたガダルカナル島での総攻撃支援のために近藤信竹中将指揮下の第二艦隊(戦艦「金剛」、「榛名」、空母「隼鷹」など)および南雲忠一中将指揮下の第三艦隊(空母「瑞鶴」、「翔鶴」、軽空母「瑞鳳」など)を派遣する。

アメリカ海軍は第二次ソロモン海戦(東部ソロモン海戦)で空母「エンタープライズ」が損傷し、8月31日に空母「サラトガ」も損傷したばかりか、9月15日には空母「ワスプ」も失ったため作戦行動をとれる空母は「ホーネット」のみとなった。アメリカ軍は「エンタープライズ」と「サラトガ」を真珠湾に帰港させ、急ピッチで修理を行い、「エンタープライズ」は10月中旬までに修理が完了した。エンタープライズは、24日にエスピリッツサント島から北東約500kmの地点でホーネット以下と合流した。また、太平洋艦隊司令長官のチェスター・ニミッツ大将は、南西地区の司令官をゴームレー中将からハルゼー中将に交代させた。ニミッツは、ゴームレーがガダルカナルで苦戦する部隊を率いるにはあまりに狭量で、悲観的過ぎると感じていたのである。ハルゼーは着任すると直ちに日本艦隊と決戦するための計画の策定を開始した。

日本陸軍第17軍は、10月13日~14日にかけて行われた挺身隊によるヘンダーソン飛行場への艦砲射撃の成功を受けて、10月24日夜、ガダルカナル島で総攻撃を行うが、重装備を持たず猖獗を極めるジャングルでの戦闘で指揮系統も混乱し、兵力を増強し防御陣地で待ち構えていた米海兵隊の反撃に遭い失敗に終わった(詳しくはガダルカナル島の戦いを参照)。一方でアメリカ軍も空母「エンタープライズ」、「ホーネット」を中心とする艦隊(第16任務部隊および第17任務部隊)が日本軍の攻撃を警戒していた。

戦闘経過
10月25日より、両軍ともお互いの艦隊を発見していたが、距離の問題などにより攻撃は行われなかった。26日、南雲忠一中将の第三艦隊は黎明から二段索敵を開始し、4時50分アメリカ軍機動部隊を発見した[1]。すぐさま第1次攻撃隊62機(村田重治少佐指揮、艦攻20機、艦爆21機、零戦21機)、第2次攻撃隊44機(艦攻16機、艦爆19機、零戦9機)を発進させる。ほぼ同時刻、アメリカ軍も日本艦隊を発見し空母「ホーネット」から第1次攻撃隊29機、空母「エンタープライズ」から第2次攻撃隊19機、さらに「ホーネット」から第3次攻撃隊25機を発進させる。また、日本の第二次攻撃隊発艦準備中に突如、米索敵機(急降下爆撃機)が襲いかかってきた。直衛の零戦9機や対空砲火で次々に撃墜したもの、2機が「瑞鳳」に爆弾を投下し、第二次攻撃隊が発進準備中の飛行甲板を直撃した。しかし幸いにも直撃箇所が最後部であったため、艦載機の誘爆によるミッドウェイの悪夢の再現は避けられた。しかし、これにより「瑞鳳」は着艦が不能となり戦線を離脱する。

爆撃を受ける「エンタープライズ」
全速で回避する「筑摩」
駆逐艦に乗員を退艦させる「ホーネット」日本の第一次攻撃隊は、進撃途中に日本艦隊を目指す米軍のホーネット隊とすれ違った。お互いに相手を視認しながら、両軍とも素知らぬふりをしてやり過ごした。しかし、次にエンタープライズ隊とすれ違って間もなく、瑞鳳零戦隊9機が反転し、エンタープライズ隊19機を追撃し、6機を撃墜、2機を撃破したもの、機銃を撃ちつくしたため母艦に帰艦した。

6時55分、日本軍第1次攻撃隊は米艦隊を発見、攻撃は「ホーネット」に集中し、同艦に航空魚雷2本と250kg爆弾6発を命中させ炎上させるが、攻撃隊の被害も大きかった。艦攻16機、艦爆17機、零戦9機が未帰還となった。「ホーネット」の第1次攻撃隊は7時27分、日本機動部隊を発見し「翔鶴」を中破させるが、「エンタープライズ」隊および「ホーネット」の第3次攻撃隊は日本空母を発見できず、前衛艦隊を攻撃、重巡「筑摩」を大破させた。日本側第2次攻撃隊は、「エンタープライズ」および炎上漂流中の「ホーネット」を発見し、「エンタープライズ」に攻撃を集中するが250kg爆弾3発の命中にとどまる。

第二艦隊と行動を共にしていた角田覚治少将麾下の第二航空戦隊(空母「隼鷹」基幹、飛鷹は機関故障のため不参加)は、7時45分第1次攻撃隊29機を発進させ、また第二艦隊の指揮下に入る。更に、第2次攻撃隊、第3次攻撃隊を発進させ、「ホーネット」を行動不能にした。(アメリカ軍が同艦を放棄した後、連合艦隊参謀長であった宇垣纏少将は「事情許さば、拿捕曳航されたし」と前進部隊に命令を発したが、火災と浸水で曳航不能なため第一〇駆逐隊の秋雲・巻雲の雷撃で処分された。)

攻撃を命じる際、角田少将の意を受けて「隼鷹」飛行長が発した「敵の位置は、まだ飛行隊の行動範囲外であるが、本艦は全速力で飛行隊を迎えに行く」という命令は、彼の猛将ぶりを示すものとして伝説になっている。更に、炎上中の「ホーネット」に向かった攻撃隊を、無傷の「エンタープライズ」が発見されるや即座に攻撃目標の変更を命じるなど、柔軟にして即断即決の指揮は、高く評価されている。

一方で南雲中将は、ミッドウェー海戦以降、数少なくなった空母を危険にさらすことを恐れ、敵の索敵機に発見されては避退の為に反転を繰り返すといった慎重な行動がみられる。「瑞鳳」と「翔鶴」の損傷後は、残る「瑞鶴」の指揮を角田少将に委ねて戦場を後にしている。この後に「エンタープライズ」を撃破し、先の攻撃で炎上していた「ホーネット」に止めを刺したのは指揮権を移譲された角田少将の指揮によるものである。なお、翔鶴(最高34ノット)は損傷しつつも駆逐艦を追い抜いたという逸話が残っている。

結果
この海戦で太平洋におけるアメリカ軍の稼働空母数は一時的に0となり、アメリカ軍側に「史上最悪の海軍記念日」と言わしめた。 しかし、日本側も艦爆隊や艦攻隊の損害が大きく、特に村田重治少佐(戦死後大佐)をはじめとする真珠湾攻撃以来のベテラン搭乗員を多数失い、これ以上の攻勢に打って出ることが困難となった。また本海戦の目的の一つとも言うべき陸軍部隊の支援についても、結果的に失敗している。

アメリカ軍は「エンタープライズ」をヌーメア(ニューカレドニア)で応急修理を実施して第三次ソロモン海戦を始め、ガダルカナル島近海に進出してくる日本軍の艦艇に脅威を与え続けた。

参加艦艇
日本
連合艦隊司令長官 山本五十六大将(トラック島)

第二艦隊
近藤信竹中将

第三戦隊
戦艦:金剛、榛名
第四戦隊
重巡洋艦:愛宕、高雄
第五戦隊
重巡洋艦:妙高、摩耶
第二航空戦隊 司令官:角田覚治少将
航空母艦:隼鷹―艦載航空機48機
第二水雷戦隊
軽巡洋艦:五十鈴
第一五駆逐隊
駆逐艦:黒潮、親潮、早潮
第二四駆逐隊
駆逐艦:海風、涼風、江風
第三一駆逐隊
駆逐艦:長波、巻波、高波

第三艦隊
南雲忠一中将

第一航空戦隊 司令官:南雲忠一中将
航空母艦:翔鶴、瑞鶴、瑞鳳
第四駆逐隊
駆逐艦:嵐、舞風
第一六駆逐隊
駆逐艦:初風、雪風、天津風、時津風、浜風、照月
第一一戦隊 司令官:阿部弘毅少将
戦艦:比叡、霧島
第七戦隊
重巡洋艦:鈴谷、熊野
第八戦隊
重巡洋艦:利根、筑摩
第一〇戦隊
軽巡洋艦:長良
第一〇駆逐隊
駆逐艦:秋雲、風雲、巻雲、夕雲
第一七駆逐隊
駆逐艦:浦風、磯風、谷風

アメリカ
南太平洋部隊司令官 ウィリアム・F・ハルゼー中将(ヌーメア)
第16任務部隊

トーマス・C・キンケイド少将
空母 「エンタープライズ」、航空機82機
戦艦 「サウスダコタ」
第4巡洋艦戦隊
重巡洋艦:ポートランド
軽巡洋艦:サン・ファン
第5駆逐艦戦隊
駆逐艦:マハン、カッシング、ポーター、スミス、プレストン、モーレー、ショー、カニンガム
第17任務部隊

ジョージ・D・マレイ少将
空母 「ホーネット」、航空機87機
第5巡洋艦戦隊
重巡洋艦:ノーザンプトン、ペンサコラ
軽巡洋艦:サン・ディエゴ、ジュノー
第2駆逐艦戦隊
駆逐艦:モーリス、アンダーソン、ヒューズ、オースチン、ラッセル、バートン
第64任務部隊

ウィリス・A・リー少将
戦艦:ワシントン
重巡洋艦:サンフランシスコ
軽巡洋艦:ヘレナ、アトランタ
駆逐艦6隻
ガダルカナル島

ヘンダーソン基地:航空機60機

損害
日本
大破:重巡 「筑摩」
中破:空母 「翔鶴」、軽空母 「瑞鳳」
小破:駆逐艦 「秋月」「照月」
航空機損失:92機
搭乗員戦死:145名

アメリカ
沈没:空母 「ホーネット」、駆逐艦 「ポーター」
大破:駆逐艦 「スミス」
中破:空母 「エンタープライズ」
小破:戦艦 「サウスダコタ」、軽巡 「サン・ジュアン」
航空機損失:74機

レーダーがないと夜間は索敵できないため、二段索敵は夜明け前と夜明けの直前といったように時間差をあけて同一の方面へ偵察機を派遣し、先発の機が索敵できなかった海域を後発の機が索敵して夜明けと同時または夜明けから短時間で捜索を完了させる。